損切りこそトレード人生
損切りできなきゃ株トレードをやる資格はない。切って切って切りまくらなきゃトレードじゃない。
9/19 トレードで生きていくとは(1)
図らずも、ちょっとトレードの現場から離れざるを得なくなって、
考えてみました。
トレードで生きていくって、どうなんだろうと。

日々のトレードの利益を積み重ねていって、
それを生活費にして生きていくのは、とても大変なことです。

何が大変かって、すべてが大変です。
個人事業としても会社としても、
いずれにしても、利益は仕掛けていかないと上がらないものです。
すべては、自分の毎日の行動がそのままお金となって
出たり入ったりするわけで、
ビジネスの仕組みがあってお金の出入りがあるわけではありません。

どんな商売でも、商売である以上、
サービスの対象があって、そこからお金が入ってきます。
それが、本来のビジネスであって、
そういう意味ではトレードはビジネスではありません。

投資はビジネスになりえますから、
そういう意味では、投資活動としてのトレードは、
ビジネスになると思います。
その場合、利益の源泉は、投資対象になる会社から、
その会社に投資というサービスに関して、利益を手にできるわけです。
(ビジネスと投資の関係に関しての正確な分析ではありません。
 あくまで、私のイメージの話です。)

しかし、私が毎日やっているトレードは、投資ではありません。
なぜなら、トレードの対象となる会社に、
サービスを提供している意識はほぼゼロだからです。

サービスを提供しているわけではないのだから、
その対価がないのも当たり前です。
形の上では、投資なのかも知れませんが、
それが、特定の対象に継続的になされているわけではないのです。
サービスという意識がないままに、
次々と、利益だけを狙って、仕掛けているだけです。

そして、あくまで私のやっているトレードには、
「トータルで儲かる」というビジネスモデルはありません。
もう少し別のコトバで言うと、
マーケティングの上に私の取引が成り立っているわけではない
ということです。
需要と供給のバランスを考えてやっているわけではないのです。
(株式市場内での需要と供給の話ではありません。)

だとすると、私のやっているトレードは、
生活の糧としては、きわめてあやふやなものです。
あってもなくても、社会が困ることはないし、
あってもなくても、社会が進歩することもないという意味で、
社会的な意義もあやふやなのです。

私の知っている、トレードのプロと呼ばれる人たちには、
職業があります。
「トレードの先生」という職業です。

確かに、トレードで儲けてはいますが、
それが唯一の生活の糧ではなく、
本来の生活の糧は、スクールの先生をやることで得ているのです。

私は、それをずるいとも思いませんし、
当然のことだと思います。

個人のレベルで考えた時、
あやふやな生活の糧より、マーケティングに基づいた
それなりに確固たる生活の糧の方がいいに決まっていますから。

わざわざ、あやふやな方でやっていくのは危険な選択です。
自分だけで済むならいいですが、そうでないなら、
少しでも安定していた方がいいに決まっています。

だから、トレードである程度の利益を得たなら、
そこから、安定に向けての努力をするのがまっとうな考え方だ
と思います。

トレードだけでは、決して安定は求められません。
安定などという事を考えなくてもいいほどの利益を、
トレードで得られるなら別ですが、
そんな状況に行かれるトレーダーなど、
本当に数えるほどしかいない、と思いますから。

逆に言うと、そこを目指してしまうと失敗する、と。
自分で制御できるような世界ではないです。

目標は、そこじゃないんだろうな、と考えているわけです。

・・・・

1回じゃ書ききれません。
以降は、また次の記事で書こうと思います。


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